テレビュー社(米)の歴史

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こんな小さな望遠鏡だとしても・・・


1986年の秋、TeleVueは "Oracle"という口径76mm(3インチ)、焦点距離560mmf7.4の新型アポクロマート屈折望遠鏡を発表した。このプロトタイプは1986年10月18日にCompanySeven で紹介された。重さ6 lbsの望遠鏡にはキャリング・ケースが付属され、ねじ込み式の金属製フード(後のモデルでは脱落防止機構の付いた反転式フードになった)、TeleVue 2インチ・ダイアゴナル、およびTeleVue Plossl-26mmがセットになっていた。"Oracle" はアイボリーカラーに塗装されたアルミの鏡筒で提供された。一方で、2インチ・ダイアゴナルや接眼部、対物セルやねじ込み式フードなどはほぼ無光沢の黒で塗装され接眼ドロチューブはクロムメッキを施されていた。デリバリーがスタートした1987年3月、 OracleはCompany Sevenでは835ドルの価格で販売されていたが、非常にコンパクトな屈折望遠鏡にとっての卓越した多機能性の新しいスタンダードをうち立てた。

"Oracle"の前にも、市場には何種類かの短焦点(短いf値の)屈折望遠鏡は存在していたが、そのほとんどは非常に安っぽい造りのものであり、視野の明快さや特に高倍率を必要とする惑星観測などでは、Oracle のライバルにはならなかった。この望遠鏡は、マルチコートされた3枚玉アポクロマート・レンズを採用していたが、このような比較的小口径の望遠鏡用の3枚玉レンズを製作することの難しさやその高価さから、それを採用するメーカーがほとんど無かったということからも、それ自体珍しいものだった。TeleVueの2インチ接眼部と組み合わせることで、この望遠鏡はメシエ・カタログに出てくるディープスカイの不思議を観察したり、海岸線や田舎のパノラミックな眺めに用いたりできる非常に広い視野(4.9度にも及ぶ)と一緒になった集光力を提供した。また"Oracle"は、高倍率で惑星の移り変わる模様を観察するための高い解像力も提供した。その上で機内持ち込み手荷物となるポータブルさであった。この望遠鏡は、天文を始めるビギナーの選択肢にも、日常的にセッティングするにはあまりに不便な機材を既に所有する人達の素敵でコンパクトなセカンドスコープにもなった。"Oracle"はまた、TeleVue の名を野鳥観察のコミュニティにも紹介することとなった。しかしながら、ハイ・パフォーマンスな3枚玉アポクロマートを首尾一貫して生産する難しさや上昇するコストのため、"Oracle"は1990年に生産中止されるという結果になった。

1988年にかけて、TeleVue はオリジナルの "Renaissance"望遠鏡を "Genesis"望遠鏡で継続することになる。光学系のアレンジは同様に見えるが、Genesis は鏡筒の後方に位置する凸のフィールド・フラットナー・レンズ群にフローライト・エレメントを用いることで、先代に優る色収差補整が施されていることを特色とした。また同時に、望遠鏡の有効焦点距離を 約500mmf5 に縮めた。重量とコストを下げるため(重量は約10lbsで、Renaissanceより2lbs軽い)、"Genesis"にはアイボリーカラーに塗装されたアルミの鏡筒が用いられた。(一方で)2インチ・ダイアゴナルや接眼部、対物セルやねじ込み式レンズ・フードなどにはほぼ無光沢の黒色ペイントが、接眼ドロチューブにはクロムメッキが施された。

スタービーム

左(挿図省略):右後方から見た TeleVue Starbeam Sight
         クロムメッキされたイルミネーターに注目



「ヘッド・アップ・ディスプレイ」から引き継がれた開発品の一つがユニークなTeleVueの "Starbeam"コンパクト・サイト・ファインダー(照星)である。
Genesis は9倍5.5度の実視界を得られることから、自身がファインダーとしても機能するものであるが、望遠鏡を照星するシンプルなファンダーがあれば素敵だろうと考えた。ファインダーは、形、機能やオペレーションの上でエレガントであるべきだし、また、望遠鏡を保管する際に取り外されるべきではないものである。等倍のファインダーがそれらのゴールにベストマッチする。小さな「赤い星」を投影するのには「逆ハーシェル式」デザインを採用することが適当と考えられた。39mmの射出瞳と無制限のアイレリーフ、まさにこれがゴールだと信じている。証明? 私の妻は、実際今まさにそれを使って対象を見つけることを楽しんでいますよ!…、とはアル・ナグラーの言葉である。この照星(サイト・ファインダー)は、簡単に装着することが可能で、望遠鏡のアライメントを合わせるのもベースブラケットの調整で容易に出来る。またこれは、輝度調整が可能なイルミメーターを有し、直径10分角の赤いドットを精密に作られたメニスカス・レンズの上に投影することで、逆ハーシェル望遠鏡のように作用する。この赤いドットは、どこでも望遠鏡の向いている方向の夜空に現れる。39mmのクリアな口径と6分角の正確さはスターホッピングを容易にする。付属するイルミネーター(照明器具)は輝度の調整が可能であり、また一般的なボタン電池を使用しているので外部電源の必要はない。 Company SevenのSenior Technicianブルース・ウィンクルによれば、TeleVue Starbeamは「所有する価値のある唯一のレッド・ドット・ポインター」である。


アル・ナグラーは、どちらかと言えば中間倍率で「広角」なアイピース設計をさらに改良する仕事に取りかかった。望遠鏡の技術が進み、特に短焦点屈折が登場してくるにしたがい、このような短焦点によってもたらされる像面の湾曲によって、ほとんどの低倍率広角アイピースでは視野の中心ではシャープでクリアにもかかわらず視野の周辺にかけては像質が次第に悪化しぼやけてくるという現象が生じていた。"Nagler"や"Nagler Type 2"アイピースはこれらのシステムに組み合わせても大変良く補整されていたが、20mm以上の焦点距離をもつNaglerを開発することは実用的でなかった。1991年、アル・ナグラーはその回答を開発し、1992年1月、タック・シャープ(鋲の尖端のようにシャープ)なことをその宣伝の中の謳い文句とする新しい広角アイピース "Panoptic"が誕生した。この新シリーズのアイピースは、2インチ・バレルを有する焦点距離35mmのもの、( Naglerがそうであったように)1.25及び2インチを組み合わせた22mmのものであった。後に、2インチ・バレル設計の27mm、1.25インチの15mmがシリーズに加えられ、最後に、Panoptic-19mmがTeleVueの双眼装置である" BinoVue"に理想的にマッチするものとして開発された。68度の見かけ視界と、全面マルチコートされた6エレメント(その内4枚にはランタンクラウン・ガラスを使用)構成により、これらはシャープネス、クラリティ(明快度)、ブリリアンス(色明度)それぞれの分野で、非常に優れた無比のスタンダードを打ち立てた。これらは、最も骨の折れる短焦点望遠鏡に用いた場合でさえも、視野の端までタック・シャープなイメージを提供するものである。

TeleVueは現在、アイピースや望遠鏡のイノベーターとして非常に良く認められるようになった。しかし同時に、インハウスで作られた美しいイラストを用いた広告等にも、自ら非常に高いプロ意識のスタンダードを設定した。1992年、ふたたびより大きな設備や施設の必要性が明らかになったことから、TeleVueはその施設をニューヨーク州サファーンに移転した。

1991年、TeleVueはもう一つの新しい望遠鏡を発表した。それはその極端なまで可搬性がユニークな70mmf6.8の屈折望遠鏡、70mm "Pronto" ED2枚玉望遠鏡である。1993年3月にデリバリーが開始されるに合わせて、TeleVueはその70mm "Pronto"ED2枚玉屈折望遠鏡を次のように紹介している。「望遠鏡が全ての観測システムの中心にありますから、私はGenesis望遠鏡の多機能なコンセプトがより小さな器具に於いても美しくフィットするだろうと考えました。Prontoは、自然観察者や初心者、それに旅行にも持って行けるような最高のクオリティの望遠鏡を望むハイ・アマチュアのための、全てを装備した米国製望遠鏡です。」…アル・ナグラー

この望遠鏡の最初の広告では、レンズ・フードを引き込み2インチダイアゴナルを取り付けた望遠鏡がポピュラーな星図のカバーの対角線に素敵にフィットしているものだった。また、もう一つの広告では、"Pronto"が、曲げた腕の丁度手首から肘までのところにひょいと乗って横たわっているものだった。そのパロディでは、宣伝のマーチン・コーヘンが、彼と彼の腕に横たわったAstro-Physicsの206mm(8.14インチ)f8アポクロマート望遠鏡、という作られたイメージを持つというものだったが、・・・彼の腕は、コンピュータ・グラフィックスによって65インチぐらいにまで引き延ばされていた。

1992年11月、"Pronto"の最初のデリバリーと共に、TeleVueは "Oracle"望遠鏡の生産中止以来開いたままになっている市場のポジションを再び確保するために乗り出した。この新しい望遠鏡は、より小さな対物レンズからなり、"Oracle"に較べて一貫した生産を可能とする分離式(一定の間隔をおいた)2枚玉構成を採用していた。"ED"ガラスの採用により色収差補正は満足できるものになり、また、2インチ接眼部によって空の非常に広い領域や、田舎や海岸線でのパノラマを楽しむことができるような望遠鏡になった。"Pronto"は現在も、 TeleVue2インチ・ミラー、1.25インチ90度のダイアゴナル、あるいは1.25インチ45度の正立プリズムの選択で販売されている。

この望遠鏡によって数多くの好意的レビューやファンレターなどが集まっていることからも、アル・ナグラーがこれを的中させたことは確かである。そもそもは初めての人がそれを購入することが期待されていたが、驚いたことに、実際には多くの経験を積んだ観察者がそのポータビリティや多機能性からセカンド・スコープとして購入していた。彼らの利用方法には、望遠鏡、超望遠レンズ、ガイドスコープ、ファインダー等も含まれる。

1993年、TeleVueは "Renaissance"や "Genesis"の光学設計を改良したバージョンを売りに出した。これらは、"SDF"というサフィックスで見分けられた。最も明らかな改良箇所は、前群の2枚玉レンズに適用されたガラスのタイプを変更することによって、色収差補正を成し遂げたことである。SDFの有効焦点距離は、古い設計のものを超える540mmf5.4だった。この頃まで GenesisSDFのフィッティング・パーツは、両方のSDF望遠鏡ともに、脱落防止の引き込み式レンズ・フードやデュー・キャップを含めてアノダイズ・ブラック(陽極黒色処理)であった。

TeleVue-101

上: TeleVue-101屈折望遠鏡。引き出し式レンズフード、2インチ(エバーブライト)ダイヤゴナル、20mmプルーセルが付属する。

1994年12月、TeleVueは "Pronto"より安価あるいはさらに一層コンパクトな望遠鏡を捜している人達を惹きつけるために、"Ranger"望遠鏡を発表した。このモデルは、その従兄(にあたるPronto)が採用するのと同じ70mm対物レンズと、よりシンプルな1.25インチ接眼部を採用した。接眼部フォーカサーはラック&ピニオン・デザインではなく、誤用に対してより抵抗力のあるものである。レンズ・フードやキャリング・バッグはオプション。真鍮のバージョンも同様に用意されている。

"Pronto"や"Ranger" が野鳥観察に大変な成功を収め、天文界にも受け入れられていた一方で、CompanySevenは、天文用に向上された望遠鏡の性能は(まだ)欲するものに達していなかったと考えた。Pronto は、視野の広さや数々の用途に対応する多機能性を有してはいたが、その設計と口径から、おおよそ150倍程度を限度とした。そのことから、これが、惑星の移り変わる模様をいつものように観察するのに必要な境界値の僅か下に位置すると判断した。マーチン・コーヘンや他の者は、アル・ナグラー(及び Astro-Physicsのローランド・クリステン)に対して、良いポータビリティを残したままで、メシエ天体や惑星を観察するのに適した2インチ接眼部や収差補正のレベルをもたらすような、良く補正されたおよそ80mmf7クラスのアポクロマート望遠鏡のアイデアを現実のものとするよう依頼した。アル・ナグラーはそれに耳を傾け、1998年2月、彼は TeleVue-85(D85mm f7) Multi-purpose望遠鏡を発表することによってこれに応えた。

TeleVue-85 & Pronto

左(挿図省略):オプションのPanoramicマウントに搭載されたTeleVue-85望遠鏡、及び
         オプションのTelepodマウントに搭載されたより小さな70mm Pronto


TeleVue-85の対物レンズは、2枚玉分離式(一定の間隔を開けた)SDが採用されている。凸レンズには、蛍石クラウンの代用となる特殊分散ガラス(異常部分分散特性を有したガラス)からなっている。この設計は、76mm Oracle デザインのそれとほぼ同等の大変良い色収差補正を可能とする。85の対物レンズの空気と接する4面には多層膜反射防止コートが施され、可視光域で94%を超えるという素晴らしい光透過率を有している。これによって、このシステムは人間の裸眼の約135倍の集光力を持つ。レンズは非常に良く成形研磨され、オプションのレンズを組み合わせて200倍あるいはそれ以上の倍率でクリアな観察ができる。これによって、惑星の意味のある観察をいつものように行うのに必要な境界値に達することになった。85は、ディープスカイの不思議であるメシエ天体全てを観察できる非常に広い視界(11倍で実視界4.6度にも及ぶ)を有しており、またそれは海岸線や田舎でのパノラミックな眺めも可能にする。付属のキャリング・ケースに収納され、適当な架台と合わせたこの望遠鏡は「機内持ち込み可能手荷物」として認められる。1998年時点で生産されているより口径の大きな望遠鏡でこれを可能とするものは他にない。





1995年、ナグラーは、私と"Amateur Astronomy Magazine"のロバート・リーブスに彼の考えを幾つか語ってくれた。それは次のようなものである。
「天文の世界でいつも私を興奮させてくれることの一つは、一般の人々、特に子供達との交流ができることです。私はまた、スター・パーティーに参加することやそこでの友愛関係が大好きです。米国内での、地方や全国規模のスターパーティーをはじめ、海外ではオーストラリアで2度、日本で1度のスターパーティーに参加しました。こうしたスターパーティーへの参加を通して、私は世界中のアマチュア天文ファンとの交流を行ってきました。新しい製品の開発と同様に、これらの人々がアマチュアの天文の世界を絶え間ない冒険にしてくれています。」

「スターパーティーで友人達が私に見せてくれる素晴らしい眺めにはいつも驚きや畏敬を覚えます。事実、鳥肌が立つような思いを天文の世界での何度も経験しました。その一つは、1986年ハレー彗星を見にオースラリア旅行に出かけた際、立ち寄ったエアーズロックで車を下りた時のこと。私は空を見上げ、生まれて初めて、全く新しい異なった宇宙の姿を見ました。天の川は素晴らしく明るく輝き、それは私の想像を遙かに超えたものでした。もう一つの(鳥肌)経験は、テキサス・スターパーティーで18インチの望遠鏡に私の(=Nagler)13mmアイピースを付けて初めて観たオメガ星団。さらにもう一つは、一度M1に隣接する彗星を発見してしまった時のことです。その時私は、ごく控えめに言っても恐ろしく興奮していました。ただしそれは、その夜、スカイ&テレスコープ誌を見ていて、M1から1度離れた彗星が観察推薦対象として記事になっているのに気づくまでのことでした。」

「私は今60歳を超えようとしていますが、今でも趣味と実益を兼ねて望遠鏡を愛しています。私はずっと、アイピース、望遠鏡や観察機材の仕事に従事してきましたが、そこには2つの目標があります。一つは、天文を、これからそのの世界へ入ろうとする人達を落胆させるものではなく、勇気づけるような身近で多目的なものにすること。もう一つは、最も広視界で、最もシャープで、最もハイコントラストな眺めを追求することで、"スペースウォーク(宇宙遊泳)"に限りなく近い視覚体験を提供することです。私は、自分の仕事が(天文という)趣味の世界での喜びや成長に貢献できたことに大きな満足を感じています。アマチュアの天文の世界は宇宙で最も素晴らしい趣味だと思います。」

「私は普段、一個人として、ニューヨークにあるロックランド天文クラブの仲間達と月に2〜3度は星を見るよう心掛けています。冬のニューヨークの寒い観望環境を避ける私の方法は、ウィンター・スターパーティに逃げ出すことです。私が今気に入っている対象は、広い視野で見る天の川や散開星団、多重星、そして彗星衝突以来の木星です。」

「今日、本当の意味での良き助言者には恵まれていませんが、私はアマチュアからその道のプロに転向した人々、例えばクライド・トンボー、レスリー・ペルティエ、ウィリアム・ハーシェル、さらにはアルバン・クラークのような望遠鏡製作者についての物語を愛しています。事実私は大変幸運にも天文の最先端にいる今日の多くのアマチュア天文家に出会い、沢山の親愛なる友人を作ることができました。」

「将来、アマチュアによる天文の世界は様々な方向に広がるでしょう。ソフトウェア、教育、CCD天文学、そしてもちろん、我々が愛して止まない不思議を求めた古くから同じスタイルのバックヤード観望です。空の汚染が広がる中、私は、暗い夜空でのスターパーティーが、より人気のあるバカンスの目的地になることを祈っています。私事、1994年10月に生まれた私の可愛い孫娘アリソン(や、1997年生まれのマリーサが)が早く大きくなって彼女らと宇宙を分かち合うことを待っている時間は、私にはもうあまり残されていません。」

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The author of this article (Martin C. Cohen) is grateful to Mr. Al Nagler and the staff at TeleVue for their continuing contributions to our industry, and for their assistance in reviewing the content of this article. Also special thanks to David and Judi Nagler for their assistance in providing information and illustrations for this article.

Corrections or additions are invited. The writer also wishes to clarify that this by no means a comprehensive discussion.

* 6ぺージにわたるこの記事は、米国Company Seven社のホームページの記事を同社の承認のうえ、ここに転載しました。全文の邦訳は、佃 安彦氏によるものです。この場を借りて御礼申し上げます。



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