テレビュートップ

2015年、米国天文月刊誌“アストロノミー”シニアエディタのマイケル・バケイク

により投稿されたアル・ナグラーのゲストブログです。


  

テレビューアイピースのあゆみ

インターネットフォーラムなどをのぞくと、ナグラーアイピースの起源にまつわる興味深い話をよくみる。ここでは、世界中の催し会場で話してきたことをまとめて書き留めよう。記憶力が失せてしまわないうちに...アル・ナグラー


はじめに

若き日のアル・ナグラーが何年も愛用した口径20cm F6の自作ニュートン鏡筒


 ニューヨーク州ブロンクスで育った私は、12歳のとき父につれられてハイデンプラネアリウムを訪ね、壮大な宇宙への情熱が解き放たれた。私にとって、父とその場を分かち合えたこともとても幸運な出来事だ。最初に所有した口径9センチの屈折望遠鏡“Skyscope”がきっかけで、ブロンクスのサイエンスハイスクールに通う。ハイスクールのショッププログラムでは、生徒が自分の好きなプロジェクトを追求することができた。 そこでの1年間は、設計、機械加工、木工、ミラー製作について学習を積み、卒業するときは口径20cm F6の自作ニュートン鏡筒でショップ大賞を受賞。これで、1955年12月に刊行された【Mechanix Illustrated】のプロジェクト記事を書くチャンスを得た。また、受賞した望遠鏡は、1958年、バーモント州ステラファンで開催された第三回望遠鏡メーカー大会のメカニカル部門で優勝した。

私は米国天文誌Sky and Telescopeのコラム"Gleanings for ATMs"の編集者アール・ブラウンと面識があったが、彼は、軍、商用のプロジェクトを手がけ、ブロンクスのファーランドオプティカル社のプロジェクトエンジニアでもあった。私は雑誌に掲載した記事を評価してもらい、1957年、同社の設計担当として職につく。その後、私と同じブロンクスサイエンスハイスクール卒業のマーチン・シェンカーがチーフを勤める光学設計部に加わる。


アポロ計画宇宙飛行士全員の訓練に使われたアル・ナグラー設計のシミュレーター.


 光学設計は、初期のナイトビジョン、航空機用ヘッドアップディスプレイ、F0.75・口径40cmの偵察飛行機のカメラレンズ、ネイバル天文台屈折望遠鏡のバックアップ光学系の仕事から学ぶ。そのころ、運命の女神が微笑み、NASAのジェミニプログラムとアポロムーンモジュールプロジェクトに使うシミュレーターの光学設計を依頼される。いずれも、宇宙飛行士の月面着陸トレーニングに用いられるが、その光学系は、宇宙船の三角窓を覆う1.8mを超えるミラーと巨大なレンズで構成。シミュレーターの中に入った宇宙飛行士は、“射出瞳”30cm、視界110度で月面着陸の様子を、無限遠に投影された1000個の恒星を背景にみることができる、いわば、“宇宙船を飲み込む巨大アイピース”だ。

いつかは自分の望遠鏡用に“スペースウォーク”アイピースを造れたらいいだろうと、思いをめぐらせていた私は、実際、シミュレーターで月着陸の風景を目にしたとき、「鳥肌」がたった。1971年、ライトパターソン空軍基地の航空機シミュレーター用の140度光学プローブ(高級テレビカメラ)の設計をファーランド社から依頼される。“着陸”時には滑走路模型の6.4mm上まで“降下”する一方で、滑走路模型に焦点を合わせるため、ティルト式リレーレンズを組み込んだ45枚構成で設計。カメラの射出は外にあり、小さな対物レンズが組み込まれ、サファイアプリズムが上下左右の揺れをシミュレートする。


航空機シミュレーター用に設計した光学プローブ。“ナグラー(アイピース)”のヒントとなる。


 夜間、ニューヨークシティカレッジに通い、1969年、物理学位を取得。これにより、1973年、ニュージャージ州クリフトンのキーストンカメラ社のチーフエンジニアに抜擢され、私のカメラ設計を生産に移行するため、日本を訪れる。日本のレンズメーカーとの関係も築けたラッキーな出来事だ。

1977年、私の妻ジュディといっしょに、テレビュー社を設立し、小さなテレビセットを大きなスクリーンに投影するためのレンズの設計・製造を開始。「テレビュー社」は、将来の天文関連製品の開発をみすえて名づけた。昼間は妻がプロジェクターレンズの経営をやりくりし、私はファーランド社時代の友人マット・バウムといっしょに産業用モーターの会社を立ち上げる。このビジネスを20年続けることで、家計を守りながら、私のナイトベンチャーをも支えることができた。


“しめた!”

テレビュープルーセルとナグラーのレンズ構成図。ひとめでわかる違い!


 1979年、良好に補正された“超広角”アイピースの開発に真剣に取り組みことになる。 1971年に設計した光学プローブの対物レンズを思い出す。その対物には焦点面近くに負のレンズを使って視野を補正したが、逆に、その対物レンズが超広角アイピースの原理になりうることが判り、夜間、週末になると、コネチカット州にあるコンピュータサービス会社でコンピュータを時間借りして、ナグラーアイピースを設計した。

ナグラーのような設計が、光学教本や、市場の製品にないことを知っていた私は、特許を申請したが、私の特許弁護士からは、既存の設計例を調べるのは時間とお金の無駄になるのと進言される。特許審査員の“仕事”は、あらゆる関連事例を暴こうと調査して突き止めることだからだ。実際、特許審査中にいくつかの参考文献が見つかり、私には“超広角フラットアイピース”の特許が認められる。ところが、この特許文献により、強く否定的な態度をとる人たちは、私の設計がオリジナルではなく、他の設計に基づくものであると誤解する。

プロトタイプの設計では見掛け視界が90度だが、その見掛け視界では瞳収差があまりにも顕著だったため、82度にとどめた。

ナグラーはテレビュー社で最初に設計したアイピースだが、当時名も知れない“家内事業”会社が高級アイピースで天文市場に打って出ることをひかえ、まずはプルーセルアイピースを市場投入させる。これが大好評で、実績と資本力を手にする。

初期のクラベプルーセルは高く評価されるも、視野周辺の限界があることが判っていた私は、1980年の設計で周辺の補正を改善。これが大好評で、アストロノミー誌には、リチャード・ベリーのレビューが、“これまでにないシャープネス”という表題で記事を掲載した。

また、幸運にも、新しいプルーセルを登場させることで、広告をうち、ディーラーネットワークを築くことができ、ナグラーアイピースの成功を予感させるだけの評判も得た。


テレビュー社初期に開発された製品


 販売するすべてのアイピースの品質を管理するため、性能が設計目標にどのくらい到達しているかをきびしく評価するため、マルチパーパス望遠鏡(MPT)を開発。同時に特許を取得する。完全に収差補正されたフラットフィールドと、絞り機構を内蔵した口径127mm、F4のペッツバール式。これにより、F4という短焦点でアイピースを検査し、F16まで焦点深度を変えることで内部のゴミやキズを検出できる。

 テレビュー社がこれまで製造してきたアイピースを100パーセント検査してきたこの望遠鏡は、いまでも活躍している。ここでは紹介していないが、このテレビュー社初の望遠鏡は25年間の時を経、今日のアポクロマード屈折望遠鏡NP-101is、NP-127isへと進化している。

よくタイプ1と呼ばれているオリジナルナグラーは焦点距離13mmからはじまる。9mm、4.8mm、7mm、11mmと続き、13mm、11mm、9mmには2”、1 1/4”のデュアルバレルを備える。いずれもサイズ、重量とも一定のスケールでシリーズ設計され、アイレリーフも焦点距離に応じて短い。

プルーセルも同じスケールでシリーズ設計された。初期バージョンの焦点距離は55mm (2"バレル)、 40mm、32mm、26mm、21mm、17mm、13mm、10.4mm、7.4mm。1995年には、それらが25mm、20mm、15mm、11mm、8mmに置き換えられる。55mm、40mm、32mmはそれぞれのバレルサイズで最大の実視界を持ち、32mm以下のモデルはナグラー7mm、4.8mmとパフォーカル設計だ。

倍率をよりフレキシブルに上げることができるよう、1980〜1989年、1.8x (1 1/4")、2.5x (1 1/4")、2xビッグバロー(2")を設計。1995年には、1.8xと2.5xを、2xと3xに置き換える。

1982年、見掛け視界82度のナグラー、50度のプルーセル、当時人気のあったエルフレより周辺像のシャープネスが高い65度のワイドフィールドの3シリーズを関連付けるのがよいと考えた。ワイドフィールドは、2”バレルの40mm、32mm、1 1/4”バレルの24mm、19mm、15mmをパフォーカルにして同じスケールでシリーズ化する。

1986年には、それぞれ固有の特徴をもつナグラーの新しいラインナップをそろえる。ナグラータイプ2は、ナグラー13mmの射出瞳収差を基本的に排除し、焦点距離を長くして実視界を大きくとった設計。はじめてスケールを同じにすることなく開発したシリーズゆえ、それぞれのアイピースを個別に設計。これにより、それぞれの焦点距離でアイレリーフをオリジナルナグラー9mmと同じ12mmに統一。2”バレルで設計したナグラータイプ2の20mmは実視界の最も広いナグラーとなる。16mm、12mmはより軽量なモデルで、便利な2”、1 1/4”兼用バレルを備える。


テレビューアイピースの変遷。パラコアがあらたに加わり、ワイドフィールドアイピースをパンオプティックにアップグレードし、2xビッグバロー+バローインターフェイスがパワーメイトに進化。


 テレビューアイピースの視野周辺のシャープネスに比べ、1960年自作の口径30センチ、F5.3ニュートン鏡筒の視野周辺への不満がつのる。テレビューアイピースの補正レベルが高い分、短焦点鏡では、恒星が視野周辺で“彗星”のように伸びてしまうコマがあぶりだされる。そこで、1989年、パラボラ鏡用補正レンズ“パラコア”を開発。たとえば、パラコアをF4.5の単焦点ミラーに組み込むと、実視界の有効領域が広がり、フラットフィールドでコマの無いペッツバール屈折望遠鏡のような性能が実現する。これにより、補正された視野を広げるというコンセプトが、コンパクトドブソニアンの登場へと広がる。パラコアを、接眼部に“差し込み式”で使えるようにするため、1.15xというわずかなバロー効果を加え、かわりに望遠鏡の筒外焦点を引き出す。これでパラコア自体の光路長分を事実上無くすことができる。


予期せぬ結果の法則

 たとえば、パラコアがよい例だ。ニュートン鏡筒のコマを解消しようと、長焦点のワイドフィールドアイピースのひとつにパラコアを併用し、鏡筒に装着したときのこと。ワイドフィールドアイピースの設計にあるわずかなアスが顕在化してろうばいした。視野周辺の恒星像が小さな十字状に結ぶじゃないか!

そんなわけで、ワイドフィールドに代わる設計にとりかかる。パノラミックオプティックからパンオプティックと名付けたアイピースで、68度の視野周辺までよりシャープに像を結ぶだけでなく、糸巻歪曲収差も少ない。

1992年最初に製品化したのは、2”バレルの35mmと、デュアルバレルを備えた22mmだが、思わぬところに新たな製品を登場させることになる。パンオプティック・バロー・インターフェイス・レンズという、テレビュー史上最悪の製品である。インターフェイスレンズを介在させることなく、35mmのパンオプティックに、2”のビッグバローを併用すると、バローからでた光束がケラレる。また、同アイピースのアイレリーフを伸ばしたことで、像の劣化も招く。

ビッグバローとパンオプティック35mmの間に介在させた正のダブレット式インターフェイスは、視野光束を平行に戻し、問題を解決。1998年になると、バローレンズとインターフェイスレンズを統合させて、問題を総合的に解決するシステムを設計。最初に登場させたのがパワーメイト2.5x、5xの1 1/4”モデル。ほぼ同焦点設計の両モデルには、バックフォーカスの長さに関係なく、倍率がほぼ一定というメリットもあるため、当時のHα太陽フィルター (ディスター社製) にも適した光学系となる。1999年には、4xの2”モデルを追加。パワーメイトシリーズは、2002年、2”パワーメイトをもって完成。イメージングのためのパワーメイト専用Tリングアダプタも加える。

1994年、パンオプティックにスケールを一定に設計した27mm (2"バレル) と 15mm (1 1/4”バレル) を投入し、それから2年後に19mmを追加する。


ナグラーの進化

 眼鏡着用者のためにアイレリーフをより長くし、短焦点望遠鏡での惑星倍率にも対応し、実視界を拡張することを望んで市場投入したナグラーシリーズが、1998年初頭に開発したタイプ4、5、6の3シリーズ。同シリーズの原理をベースにした開発は、軽量、携帯性、ロングアイレリーフが特徴のラジアンシリーズにもつながる。

ナグラータイプ4の22mm、17mm、12mmアイピースは、いずれも約18mmのアイレリーフを持つ、スケールを同じにしない個別の設計だ。眼鏡を着用するユーザーと、着用しないユーザーのいずれにも適切に対応すべく、クリックストップ式高さ調整アイガードを備える。コーティングも一新し、糸巻歪曲収差の低減を特徴とするタイプ4は、当然のことながら、タイプ1、タイプ2を凌ぐ成功を収める。前述のとおり、1998年に投入したラジアンは、見掛け視界60度のコンパクトなアイピースで、20mmのアイレリーフ、クリックストップアイガード、歪曲収差のない視野、同焦点という共通の特徴をもたせた設計。焦点距離を18mm、14mm、12m、10mm、8mm、6mm、5mm、4mm、3mmに定め、惑星観測に高く評価される。

1999年、2”バレルで最大の実視界を誇る31mmを同じスケールで設計。広く知れ渡るアイピースのひとつとなる。続いて1 1/4”で実視界が最も広い16mm、さらに26mm、20mmと続け、タイプ5を完成させる。

2001年には、アイレリーフを12mmに統一した個別設計されたコンパクトなタイプ6を投入。発売当初の焦点距離は13mm、9mm、7mm、5mm。続いて11mm、3.5mm、2.5mmを加えてこの同焦点シリーズを完成した。

また、2001年から2003年にかけ、よりシンプルな設計で惑星観測者の望みに応じるべく、5枚構成の3-6mmと2-4mmのナグラーズームを開発。ズームレンズは単焦点レンズに比べて劣るという考え方が一般的ななか、ナグラーといえば見掛け視界82度だが、見掛け視界を50度にしたうえで、名称にあえて「ナグラー」を使う。ズームレンズの汚名を晴らす意味でも、好評を博したナグラーの名を使うことを選ぶ。オルソコピック、プルーセルもなしえなかったレベルで、短焦点の望遠鏡でも視野全域で性能を発揮。同焦点設計のナグラーズームシリーズは、2mmという焦点距離から、あらゆる焦点距離で50度の見掛け視界と10mmのアイレリーフが保たれる。また、クリックストップ付のズームリングを回すことで、倍率を瞬時に調整し大気流による限界を軽減。惑星の詳細をリアルタイムで最大化できるユニークなアイピースだ。


自社設計の発展

ナグラーシリーズからイーソス、デロス、デライトシリーズの発展チャート


 ポール・デレカイは、1985年からテレビュー社に勤務。2002年になると、彼の技術能力と望遠鏡製作経験を活かし、光学設計を担う理想的な人材となり、新製品を開発するうえで私の右腕となる。2002年、2倍パワーメイトおよびパンオプティック24mmをシリーズに加える際、限定的ながらも自らの能力を的確に活かした。

 パンオプティック24mmはデュアルバレル式のパンオプティック22mmに代わり、1 1/4”アイピースで最大の実視界を備える。パンオプティック24mmはプルーセル32mmの代役でもあるが、飛躍的に高められた性能は、とりわけ双眼装置のユーザーに大好評だ。2003年、デレカイは、パンオプティック24mmと同じスケールで41mmを設計し、プルーセル55mmと同じ、2”アイピースで最大の実視界を実現する。


視力の問題をチャンスに

 2005年頃から、私の乱視は1 3/4にまで達したが、メガネを掛けての観望に不満がつのる。そこで、メガネを掛けずにだれにでも解決できるプロジェクト“ディオプトロクス”にとりかかる。ディオプトロクスレンズには、0.25から3.5までのディオプタ値を持たせる。同レンズは、テレビュー社のロングアイレリーフアイピースのアイガードの代わりに使う、シンプルなセルの中に収めた設計。ディオプトロクスはアイピースのアイレンズの上に装着した状態で、回転させながら角度を調整して乱視症状をなおす。レンズの品質に妥協することなく、マルチコートが施されたディオプトロクスは、私の哲学でもある“無害な光学系”に合致する。

どこかのスターパーティでお会いしたときには、デモして差し上げます。ユーザーからの評判や雑誌記事の評価から、私自身の視力の不満が、市場での成功につながった例と言える。


もう一人の先駆者

 私が“イメージングシステム”鏡筒とそのアクセサリに専念しているあいだ、1988年テレビュー社にフルタイムで勤務し、今ではテレビュー社社長を勤めている息子のデビット・ナグラーは、光学設計者のポール・デレカイにある先駆的なプロジェクトを指示。2006年、私の休暇中に、二人は見掛け視界100度のアイピースをあらたに開発することで、ナグラー革命の再来を企てる。この見掛け視界でありながらも、歪曲をはじめ、他の収差補正も大幅に前進させ、無色収差でコントラストが高く、ロングアイレリーフというゴールだ。

 多才でありながら、“理屈抜きで”性能を出せるアイピースを目指したデビットは、デレカイに設計が実現可能かどうか調査させる。このプロジェクトのゴールが暫定的にでも見込めるまで、二人とも私に隠して事を進めていた。設計が完成すると、デビットは、あらゆる技術進歩を活かした純度の高い像質、組立て品質の高さ、ビジネスとマーケティングの融合をうたうポジティブな特性を表したいと、あたらしいアイピースに“イーソス”と名づける。最初のイーソスは、オリジナルナグラーに敬意を表し、13mmに決める。

 2007年にイーソス13mmを登場させた2007年、近くで開催されたアマチュア展示会場で喜び勇んでイーソスを紹介。あまりにも多くの“ウァオ”を聞いた私は、ホームページに技術的詳細を解説。二人の活躍には、心から楽しませてもらった。

2008年、イーソスシリーズに6mm、8mm、17mmを追加し、2010年から2011年にかけ、特別バージョンとして3.7mmと4.7mmを投入。設計評価中、イーソスの見掛け視界100度を、40年前に設計し、“スペースウォーク”アイピースのきっかけになった見掛け視界110度に広げることも可能だとわかった私は、ポールに拍車を掛ける。この見掛け視界110度で月を覗けば、シミュレーターの三角窓から荘厳な月面飛行をみたときに“鳥肌が立った”私と同じ体験ができる。110度のイーソスSXのSXは、“Simulator eXperience”のSとXをとったもの。

2009年、マイク・ロックウッド作の口径508mm、F3ドブソニアンをみた私は、テレビューの広角アイピースに対応できるよう、一歩進んだパラコアを設計するようデレカイに依頼。デレカイが開発したパラコア2を使えば、F3のシステムは、F12相当の像質で性能を発揮する。

2010年、中国からガラスメーカーに輸出されるレアアース素材ランタンのコスト高騰により、ランタンをふんだんに使うラジアンシリーズを継続できなくなる。そこで、イーソスの成功をベースに、他の素材を使い、競争力ある価格で、より優れたシリーズを開発できないかを検討。その結果、あらゆる性能面でイーソスの特徴を引き継ぎ、アイレリーフを20mmに統一した見掛け視界72度の“デロス”が誕生。個別スケールで設計されたデロスの焦点距離は、17.3mm、14mm、12mm、10mm、8mm、6mm、4.5mm、3.5mm。比較的コンパクトな形状は双眼装置にも適し、スライディングロック式アイガードにはディオプトロクスを装着できる。

名前は、光の神アポロが誕生した島“デロス”に由来し、現在“デライト”の設計を担当しているポール・デレカイにちなんで付けられた。


 ブロンクスのサイエンスハイスクール時代、望遠鏡の隣に立つアル・ナグラー。正真正銘の光学設計者だが、いまでも夜空を心底楽しむ観望派

なぜ天文愛好家になったのか?

天文を楽しむことが実用的でないことは、音楽、芸術、自然美も同じこと。だが、宇宙の歴史を理解し、我々はそのどこに存在するのかを知り、自然界の軌跡を覗くと、心が高揚する。結局、私たちはみな星でできているし、宇宙にある自分たちの場所に感謝できる唯一の生物かもしれない。 人類みんなが天文愛好家なら、私たちの住む奇跡の惑星を、もっと容易に守り続けることができるだろう...アル・ナグラー


 “デライト”はさらにコンパクトで、価格も低く、デロスと同じアイガードロッキング機構を備えた見掛け視界62度のアイピース。2015年の展示会“Northeast Astronomy Forum”で発表した焦点距離は18.2mm、11mm、7mmだ。デライトという名前については、テレビュー社でも多くの意見が交わされたが、デレカイの名前と、デロスの軽量級ということで落ち着く。名前に賛成しなかった者も、“喜んで (delight)”覗いたことは認めている。

テレビュー製品の“いま”については、我々のホームページを参照していただきたい。展示会やスターパーティーでお会いし、同じ天文愛好家と話ができるのをいつも楽しみにしている アル・ナグラーより。


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